イスラームと正直であること
あらゆる称賛は、慈愛溢れるアッラーのもの。御使い、その一家と教友たちに祝福と平安がありますように。
信者たちよ、アッラーを畏れなさい。アッラーの命令を守り続けなさい。アッラーが禁止される事柄を遠ざけなさい。なぜなら、アッラーへの畏れはあらゆる良いことへの入り口であるから。アッラーの御前に在って、しもべである人間の価値は、自らの信仰と良い行い次第で決まる。財産や強さにより決まるものではない。
アッラーは、クルアーン・サバア章において次のように述べておられる。
「お前たちをわれに最も近付けるものは、財産でも子女でもない。信仰して善行に勤しむ者は、その行いの倍の報酬を与えられ、高い住まいが保証される。」(34章 37節)
アッラーは、クルアーン・サバア章において次のように述べておられる。
「お前たちをわれに最も近付けるものは、財産でも子女でもない。信仰して善行に勤しむ者は、その行いの倍の報酬を与えられ、高い住まいが保証される。」(34章 37節)
正直であることは、健全な心を持った者によってのみ保持される立派な性質である。
アッラーは、クルアーン・悔悟章において次のように述べておられる。
「お前たち信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、誠実な者と一緒にいなさい。」(9章 119節)
預言者さま(祝福と平安を)は、正直と言うことについて次のように述べておられる。「正直は善行に導き、善行は天国へと導く。そして本当に真実を語る者は正直者として記録される。また嘘はよこしまへと導き、よこしまは地獄へと導く。そして誠に、嘘を付く者は嘘付きとして記録される。」 アッラーは、正直であることに対して現世と来世での大きな報酬を約束しておられる。現世でアッラーは、正直である者には、よこしまなものや災難から加護される良い立場を与えて下される。預言者さま(祝福と平安を)は、次のように述べておられる。「確かでないものから遠ざかり、確かなものを採用しなさい。正直であることには安心があり、偽りには曖昧さがつきまとう。」 正直に対する来世における報酬は、アッラーの御悦びであり、楽園における高い位階である。そこにおける喜び様については、見たり、聞いたり、想像してみたりすることは出来得ない。アッラーは、クルアーン・食卓章において次のように述べておられる。
「アッラーは仰せられよう。『これは彼ら正直者が正直ゆえに得する日である。彼らには川が下を流れる楽園があり、永遠にその中に住むであろう。』 アッラーは彼らを喜ばれ、彼らもまたその御方に満悦する。それは大願の成就である。」(5章 119節)
アッラーは、クルアーン・悔悟章において次のように述べておられる。
「お前たち信仰する者たちよ、アッラーを畏れ、誠実な者と一緒にいなさい。」(9章 119節)
預言者さま(祝福と平安を)は、正直と言うことについて次のように述べておられる。「正直は善行に導き、善行は天国へと導く。そして本当に真実を語る者は正直者として記録される。また嘘はよこしまへと導き、よこしまは地獄へと導く。そして誠に、嘘を付く者は嘘付きとして記録される。」 アッラーは、正直であることに対して現世と来世での大きな報酬を約束しておられる。現世でアッラーは、正直である者には、よこしまなものや災難から加護される良い立場を与えて下される。預言者さま(祝福と平安を)は、次のように述べておられる。「確かでないものから遠ざかり、確かなものを採用しなさい。正直であることには安心があり、偽りには曖昧さがつきまとう。」 正直に対する来世における報酬は、アッラーの御悦びであり、楽園における高い位階である。そこにおける喜び様については、見たり、聞いたり、想像してみたりすることは出来得ない。アッラーは、クルアーン・食卓章において次のように述べておられる。
「アッラーは仰せられよう。『これは彼ら正直者が正直ゆえに得する日である。彼らには川が下を流れる楽園があり、永遠にその中に住むであろう。』 アッラーは彼らを喜ばれ、彼らもまたその御方に満悦する。それは大願の成就である。」(5章 119節)
信者たちよ、正直であることとは、言葉においても行いにおいても偽りが無い事を意味している。それはまた、アッラーとアッラーの御使いの教えを正しく、嘘の無いように人々に伝える事をも意味している。
アッラーは、クルアーン・集団章において次のように述べておられる。
「だが、真理をもたらす者またそれを確認(し支持)する者、これらは正義を行う者である。」(39章 33節)
預言者さま(祝福と平安を)は次のように述べておられる。「誠の信者は、話をするなら真実を語り、知識を受けるときにはそれを信じる。」 裏切りや騙すことをしない様に遠ざかっている事も正直の一部である。嘘のなかでも最も邪悪な嘘は、アッラーに係わる嘘であり、次いで邪悪な嘘は、イスラームに関する嘘である。
アッラーは、クルアーン・預言者章において次のように述べておられる。
「われは只、万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。」(21章 107節)
イスラームは、公正と正義、親切を基礎とした宗教である。
アッラーは、クルアーン・蜜蜂章において次のように述べておられる。
「誠、アッラーは、公正と善行、そして近親に対する贈与を命じ、またあらゆる醜い行いと邪悪、そして違反を禁じられる。…」(16章 90節)
イスラームは、信頼と正直に基礎を置いた宗教である。
アッラーは、クルアーン・婦人章において次のように述べておられる。
「誠、アッラーはお前たちが信託されたものを、元の所有者に返還することを命じられる。また、人を裁くときには公正に裁くことを命じられる。…」(4章 58節)
イスラームは、善いことを命じ、邪悪で有害なものを禁じる、まっとうな宗教である。
アッラーは、クルアーン・集団章において次のように述べておられる。
「だが、真理をもたらす者またそれを確認(し支持)する者、これらは正義を行う者である。」(39章 33節)
預言者さま(祝福と平安を)は次のように述べておられる。「誠の信者は、話をするなら真実を語り、知識を受けるときにはそれを信じる。」 裏切りや騙すことをしない様に遠ざかっている事も正直の一部である。嘘のなかでも最も邪悪な嘘は、アッラーに係わる嘘であり、次いで邪悪な嘘は、イスラームに関する嘘である。
アッラーは、クルアーン・預言者章において次のように述べておられる。
「われは只、万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。」(21章 107節)
イスラームは、公正と正義、親切を基礎とした宗教である。
アッラーは、クルアーン・蜜蜂章において次のように述べておられる。
「誠、アッラーは、公正と善行、そして近親に対する贈与を命じ、またあらゆる醜い行いと邪悪、そして違反を禁じられる。…」(16章 90節)
イスラームは、信頼と正直に基礎を置いた宗教である。
アッラーは、クルアーン・婦人章において次のように述べておられる。
「誠、アッラーはお前たちが信託されたものを、元の所有者に返還することを命じられる。また、人を裁くときには公正に裁くことを命じられる。…」(4章 58節)
イスラームは、善いことを命じ、邪悪で有害なものを禁じる、まっとうな宗教である。
アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。
アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。
アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。
預言者ムハムマド(祝福と平安を)への愛について
あらゆる称賛と感謝はアッラーのもの。信者たちよ、本日のホトバは、我々のお手本で最愛の指導者であられるムハムマド(祝福と平安を)に対する我々の心からの愛についてである。
預言者さま(祝福と平安を)を囲んで指導を受ける教友たちの会に、口の悪い仲間の一人が紛れ込んだことがある。その者は仲間たちの許に戻り、仲間たちから何を見聞きしたかを問われ次の様に答えたと言う。ローマの皇帝カエサルとペルシャの皇帝キスラについて、また人民がこれら皇帝に注ぐ敬意と称賛については皆も知っての通りであるが、だが最も敬意と称賛を払われている人物がムハムマドであるのをこの目で見た。ムハムマドの教友たちは、喩え一羽の小鳥が頭に止まっても全く動ずることなく教えに聞き入っているという有様で、師の髪の毛が落ちれば、それからの恩恵に与りたいと、一本残らず拾い集めたものである。
預言者ムハムマド(祝福と平安を)が率いるマディナ軍が大敗したウフドの戦いでは、預言者さま(祝福と平安を)が戦死されたとの噂が流れたが、その時の事が次のように語られている。信者たちは噂を聞きつけたものだから心配で落ち着いてはいられなかった。マディマに留まる婦人たちの中には、金切り声を上げる者までいた。そんな時、アンサール(元々のマディナ住民で預言者さまの遷都を受け入れ協力した人々)の一婦人が、父親、兄弟、夫、息子を探しに戦場跡にやって来たものの、実は皆戦死していたのである。生き残った者が、その婦人をそれら遺骸の所に案内したのであるが、婦人は、「預言者さまについては如何ですか。」と聞くのであった。目の前の右手の方が預言者さまですと伝えると、婦人は預言者さまの前に進み出て、着衣を掴み、「アッラーの御使いさま、私にとっては父母よりもあなた様が大事です。」と、そして、「アッラーの御使いさま、あなたさえご無事であれば、悲しみはとるにたりません」と、驚くべき言葉が発せられたのである。横たわっている父親、兄弟、夫、息子の遺骸を前にしながらも、預言者さまの無事にこそ心を配り、預言者さまを最も愛していればこそ、着衣を掴み、「アッラーの御使いさま、私にとっては父母よりもあなた様が大事です」と、言ったのである。
更に、預言者ムハムマド(祝福と平安を)を心から愛する人について語ろうではないか。クバイブ・イブン・アディイ師が、不信仰者たちに捕らえられ、処刑の為にハラム(現在の聖マスジド)に引っ張り出された時のことである。2ラカアの礼拝をする時間を求め、短く2ラカアの礼拝を済ませ、そして述べたそうである。あなた方が、私が死を恐れていると思わなかったならば、礼拝にもっと長い時間をかけたのだが、けれども、私について何を考えているか分かっているので、短く礼拝を済ませることにしたのだ。更に付け加え、アッラーよ、私の前に見えるのは敵の顔ばかりで、御使いに私からの言付けを伝えてもらうにしても使いの者は見当たりません。アッラーよ、どうか私の別れの挨拶を御使いにお届け下さるようお願いします。それで、天使ジブリールがアッラーの御使い(祝福と平安を)の許へやって来て、その挨拶を伝えたのである。クバイブ師の処刑を前に、不信仰者たちが、今のお前の場所にムハムマドが居れば、お前は自由になるとは考えないのかと尋ねると、クバイブ師はアッラーの御使いへの愛に満ちた気持ちで、全能のアッラーに誓って、私の命の代わりに御使いの足に僅かな棘でも刺さることを望みむことはあり得ないと答えたと言う。
預言者さま(祝福と平安を)について、次のような話も伝わっている。「審判の日は一体何時来るのですか。」と或る男が尋ねたのに対して、預言者さま(祝福と平安を)は、「それが分かったとして、どんな備えをするのかね。」と質問された。男は、「アッラーとアッラーの御使いの為に最後に抱く愛を除けば、日頃行っている以外の特別な事は何もありません。」と答えた。すると預言者さま(祝福と平安を)は、「それならば、審判の日には、あなたが愛する者(預言者さま)と共にあるでしょう。」と、答えられた。また、預言者さま(祝福と平安を)のムアッジン(アザーンを唱える役目の者)のビラールが死の床にあった時、妻が、「ワハッザナ」と深い悲しみの言葉を漏らすと、ビラールは、「明日にも愛する預言者ムハムマドと立派な教友たちに会えるのであるから、悲しむではない。」と言ったという。アッラーよ、愛する預言者さま(祝福と平安を)への私の愛の心を高め、楽園において預言者さま(祝福と平安を)に近い高位を御授け下さい。
アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。
アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。
アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。
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